何のために学習するか 四つの「いいこと」 その1

「何のために学習するか」
毎年、初めに話しをします。

「ブランド志向っていうの?親の都合でいい学校に行けっていわれても…」という生徒もいます。
高学年にもなれば「こんな方程式将来に役立つの?」と口にします。
屁理屈かな…?しかし 「納得」したがりの血は私も同じです。

どれだけ伝わるか確信がなく、何かを知っているかのように語るのは面映い気持ちながら、真摯に、以下のように伝えています。

少しでも意志を持って前に向かえるようになるため、簡単に言えば幸せになるため。豊かになるためだと。
学習すると、四つの「いいこと」があるよ、と伝えています。(もっと噛み砕いて伝えていますが)

第一に、学習という行為自身が、内省的精神的な「楽しさ」をもたらしてくれる。
第二に、将来につながる「能力」が育つ。
第三に 努力→成功→自信の循環を産み「生きる力」が身につく。
第四に、結果として自由・選択の幅が広がる、という意味での将来の自己実現としての「豊かさ」を享受できる。

直接的に第四の経済的な「豊かさ」そのものを動機とされることも多いでしょう。確かに、一部の外国では学習の目的が、時には貧困から抜け出すためにという理由であったりします。ただし何々中学・何々大学に入るというもののみを目的に終始する学習では意味がないと考えています。

今回は第一の「楽しさ」と第二の「能力」第三「生きる力」についてコメントしたいと思います。


第一の「楽しさ」

知る、わかる、という楽しみ。それは、人間の本来的に備わっている欲求です。
私も、テレビでクイズ番組をやってるとつい、見てしまうものです。

理科の資料集を眺めながら、美しく構成された人間が累積してきた知恵への畏敬を持つ生徒。
2分野では純粋に世界がそうなっていることへの感動する生徒。
社会の地図をみながら、小説を読んでいるかのように鮮烈にイメージを重ねていく生徒。
歴史では、漫画や映画を凌ぐドラマツルギーにただただ圧倒される生徒。
速さなど目に見えないことをダイヤグラムで図式化して扱えることに興奮する生徒。
漢字の部首を妙に気に入って何回も書いてしまう生徒。

自我が早めに目覚め、自分と世界の境界を計りかねている切実な生徒は受験勉強での国語の長文に救われたりします。

数学の解法や考え方は殆ど教えない。しかしとても楽しそうに数学を語る。
その先生のおかげで数学が好きになり得意になった、という生徒もいるのです。

この「楽しさ」は、このあとに続く「いいこと」の大切な基盤となるものです。
この「楽しさ」は努力して身に着ける性質のものではありません。もともと備わっているものなので思い出させてあげる、そういった働きかけを保護者や指導者はこころがけなければいけないと思います。


第二の「能力」と第三の「生きる力」

つるかめ算に意味があるの?という生徒には「そうだね。つるかめ算自体は確かに将来使わないかもね」と同意します。

確かに、即時的な「役に立つスキル」だけならば読み書きだけでいいわけです。小数だって日常じゃ使わないよ、等とも言うでしょうし。
しかしそのあと上の生徒に私は問いかえします。
サッカーに例えて「ボールをゴールに入れて意味があるの?足じゃなくて手を使えばいいじゃない?リフティングが将来の役に立つの?」と。大人気なく理屈っぽいですが…。

サッカーを通じて敏捷性体力などの身体的機能を高めるためなのと同様につるかめ算を通じて図式化・複雑な問題をある視座で見て整理するフレームワーク化の力などの問題解決能力が高まるのです。
その力はどれだけ将来役に立つかいうまでもありません。


そしてその練習において育まれるのが「生きる力」です。
試合に出る、というのがもともと設定されたものとしても
まず第一の「楽しさ」ボールを蹴る、という行為自体が楽しくなければ到底試合には出場できません。

ただし、上手になるためは練習が必要です。
ボールを蹴って蹴りっぱなし。ゴールに入ったかどうかも見届けない。
それでうまくなるわけがない。

上の例えは 解いた問題を丸付けもせずにしておく・丸付けをしても なんで間違えたのかどうしたら解けたか?と考えもしない生徒そのものです。

上手になる子は、蹴ってうまく入ったらもっと嬉しくて練習する。もし外れても、悔しいながらも楽しんで「なぜ入らなかった?どうしたら入る?」と研究して入るよう創意工夫します。

そして上達と言う結果を手に入れ、目標をクリアできる。後はその良循環に入る。
楽しい自発的な努力が自信を生み、自信が努力を楽しいものにする。

与えられた事を 「やらされている」ではなく 一度自分の中で転換して「やってやる」といえる力。生きる力。

事実上半強制として始まっている側面を捉えて、それはいびつな教育だ、という見方もありますが私は反対です。
これからの未来で必ず発生する理不尽・与えられた限界・状況・課題問題にどう対処していくか。その中でどう自己を実現していくか。、それこそが「生きる力」だと思うのです。

自律的に 問題課題を楽しめる。そうするために距離を少しずつ離しながら、信頼関係にもとずいて保護者・指導者は励ましと厳しさをもって基準をもって接することが求められていると思います。


実は、先ほどあげた「四つのメリット」は そのまま発達論・教育論として
成長の時間軸に沿って指導者・保護者が意識しなければいけないことと思います。

第一の「楽しさ」が10歳位にまで 第二の「能力」第三「生きる力」が12~14歳位迄に育つ、そのことを意識しながら接しなければなりません。早期の鍛錬や 11~14歳での甘やかしをしてしまうと概ねよいことはないようです。

第四については毎年生徒が呆れて笑う「ソミーのプルヒテ」の話をしたいと思います。

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